忘れられた偉才・岩瀬忠震

第7回 黒船来航〜その4

語り手:大江戸蔵三
都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。

聞き手:墨田なぎさ
都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。

日本を救った?「おたく」アメリカ人

結局阿部さんを中心にして、最終意見はまとまったの?


全然。でも、とりあえずの策として防衛の軍備だけはしておこうということで、阿部正弘は西洋通の若手官僚を抜擢した。まずは勘定奉行で開国派だった川路聖謨(かわじ・としあきら)を海岸防禦御用掛に任命して、江戸湾の守りを固めるように命じた。この川路という人をよく憶えておいて欲しいな。この人も岩瀬忠震や小栗上野介と同様、偉大かつ悲運の幕臣だ。

いろんな人の名前が出てきて混乱するけど、一応憶えておくわ。え〜と、川路さんね。


何か心許ないけど話を進めるよ。川路は、友人であり、かつては「尚歯会」のメンバーでもあった伊豆韮山代官の江川英龍(えがわ・ひでたつ)と共に洋式の海上砲台を建設する。品川沖に計11基の予定で、高輪の丘陵を切り崩して埋め立てたんだけど、これが今の「お台場」ね。

へぇ〜、お台場って大砲を置いた場所だったんだ。


江川英龍は江川太郎左衛門という呼び名の方が有名だけど、この人は早くから日本の沿岸警備について警鐘を鳴らしていた。だから洋式砲術の大家だった高島秋帆(たかしま・しゅうはん)にわざわざ弟子入りして新式の砲術を諸藩に広めたんだ。加えて、武器製造も自前でできるように韮山に鉄を精錬する反射炉まで造った。

江川英龍に高島秋帆?ああ、憶えきれない…。



この人たちも凄い人たちだけど、いちいち話をしていたら時間がなくなるから、次に行くよ。砲台の次は軍艦というわけで、幕府は大型船の建造を禁じた大船建造の禁を244年ぶりに解除して、諸藩に軍艦建造を奨励した。

244年ぶりって、意の遠くなるような話ね。



それだけ日本は平和だったんだよ。200年以上諸藩には水軍、つまり海軍がなかったわけだから、当然技術も追いつかない。幕府もあわてて浦賀造船所で洋式帆船「鳳凰丸」を造り始めるんだけど、何しろ先生がいないから、本を片手に和船職人が見よう見まねという有様だ。

うわ〜、頼りない。向こうは蒸気船なのに今さら帆船でしょ。必死だっていうのはわかるけど…。

当然幕府もそう思ったから、オランダに艦船を発注した。まぁ、この時はまだペリーの再訪まで1年の猶予があると思っていたからね。

っていうことは、もしかして早く来ちゃったの?


そう。1年の約束が半年後に来ちゃった。翌年2月(嘉永7年1月)のことだ。しかも今度は浦賀じゃなくて江戸湾深く、小柴沖にまで入ってきた。前回の来航で江戸湾の測量を済ませていたから、やすやすと侵入できたようだね。これは日本側の、のらくらした対応に業を煮やしたペリーが、将軍家慶が死んだ混乱に乗じて揺さぶりをかけようという作戦だったと考えていいんじゃないかな。しかも今度は9隻で、前回の倍以上だ。

幕府はあわてたでしょうね。どう対応したの?



一応3カ月ほど前に薩摩藩から情報は入っていたから、阿部正弘も諸藩に「平穏を旨とするが、最悪時は戦の覚悟を持て」という通達を出した。そして幕府側の全権、つまり交渉の責任者に、この連載の主人公・岩瀬忠震の叔父で昌平黌の塾頭、林大学守(復斎)を指名した。

あれぇ、確か叔父さんは洋学の専門家じゃなかったわよね。英語ができたの?


英語は全くダメ。だけどこの人は幕府の要請で室町時代からの外国との関係について国別・年代順にまとめた「通航一覧」という資料集を編纂しているからね。加えてオランダ風説書なんかを通して海外事情にも精通していたから、当時幕府側の人間としては一番の外交通だった。

英語が出来ないのに外交官やるんだから大胆よね。


そもそも日本側には森山栄之助という英語に堪能な通訳がいたから、さほど問題はなかったんだ。

えっ?だって日本はオランダとしか国交がなかったんでしょ。どうして英語を話せたの?もしかしてジョン万次郎に習ったとか…。

あはは。キミもジョン万次郎ぐらいは知ってるんだな。当初は唯一のネイティブ・スピーカーである万次郎が適任と言われていたんだけど、オランダ語を通しての通訳を立てたい幕閣がいて、そのメンツを潰されたくないから、万次郎はアメリカ側のスパイだという濡れ衣をかけられてしまう。

馬鹿な話ねぇ。国の命運がかかっているのにメンツなんて…。


もともとはただの漁師だったのに、アメリカ漂流後に薩摩で重用され、あっという間に幕府から直参旗本の身分まで与えられた万次郎に対して、下賤の者、成り上がり者とやっかむ声も多かったのさ。その点森山栄之助は代々長崎でオランダ語の通訳だったから問題はなかった。但し、この人はちょっと面白い経緯で英語を学ぶことになるんだけど…。

まさか独学とか? 今みたいに耳で憶える英会話教材なんかないから無理よねぇ。


実は彼にはラナルド・マクドナルドというアメリカ人の先生がいたんだ。この人が実にユニークな人で、自分が先住民の血を引いていることから、先住民のルーツは日本人だって勝手に考えるんだな。それで一方的に日本に憧れて、捕鯨船の乗組員になって日本近海まで行くと、ボートに乗って漂流民になりすます。北海道から上陸して長崎に送られると、半年間の拘留期間に14人もの日本人通訳に英語を教えるんだ。


変わった人ねぇ〜。当時の「日本おたく」ってこと?


まぁ、そうだね。でもね、この人には感謝しなくちゃいけない。本国に送還された後、彼は日本という国が未開の国ではなくて高度な文明社会であるとアメリカ政府に伝えるんだ。アメリカが日本を一気に武力制圧しなかったのには、そんなところにも原因があるんだよ。

←江川英龍の子、英敏が完成させた韮山反射炉
   ラナルド・マクドナルドの顕彰碑(長崎市)→

ページトップへ戻る