忘れられた偉才・岩瀬忠震

第3回 忘れられた偉才〜その3

語り手:大江戸蔵三
都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。

聞き手:墨田なぎさ
都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。

実は国際通?だった幕府

その林ナントカさんが甥の忠震さんに海外のこととか、いろいろ教えてくれたっていうこと?


ナントカじゃなくて林復斎だよ。林大学頭(だいがくのかみ)といった方がわかりやすいかもね。 名前通り、江戸時代の最高学府、昌平黌の長官だ。今で言えば東大の学長、いや、もっと格上だな。林家というのは初代・林羅山の時代から代々徳川家のブレーンだったから、文部大臣クラスと言ってもいいかもしれないね。だから、国内外に関するあらゆる情報を持っていたと考えられるんだ。

でも、その頃の日本ってずっと鎖国状態だったんでしょ? それなのにどうして海外の情報を知っていたのよ。


「鎖国」という言葉で誤解している人が多いけど、江戸幕府は国交を断絶していたわけじゃない。長崎の出島でオランダとの貿易が行われていたことはキミだって知ってるだろ。他にも明や朝鮮とも取引があった。北では松前藩がアイヌを通じてロシアや中国北部との貿易を行っていたし、南の薩摩藩も琉球を通して各国と貿易していたんだ。
えっ? じゃあ「鎖国」って何だったの?



正確に言えば「海禁」。つまり、幕府による貿易管理と、外交制限ということだな。もともとは「鎖国」とは呼ばずに「異国渡海御禁制」と言っていたのを、元禄時代に出島で勤務していたオランダ人医師ケンペルが書いた「日本誌」という著作を通訳の志筑忠雄が翻訳した際に「鎖国論」というタイトルをつけてから「鎖国」という言葉が一般化したんだ。

ふ〜ん。でも、出島があった長崎はわかるけど、松前とか薩摩だけに貿易を許していたのはなぜ?


もう少し詳しく言えば、松前藩は蝦夷地、対馬藩が朝鮮、薩摩が琉球という風に担当が決められていたんだ。要するに、海外との交易をある程度認めてあげるから、その代わり海の守りは責任を持ってやれよ、ということだな。一方で、それ以外の貿易権は幕府が一手に握っていたから、利益も幕府が独占していたというわけさ。

やっぱり貿易って儲かるのね。でも、そんないい商売をどうしてもっと広めなかったの?幕府が独占しちゃうより、みんなで儲ければ税金だってたくさん入ってくるじゃない。

「鎖国」が始まったのは三代将軍家光の時代だけど、家康、秀忠、家光の時代を「武断政治」、その後を「文治政治」と言って、家光の時代までは幕藩体制、つまり中央集権の確立が最大のテーマだったから、各藩の力を削ぐ事が大事だったんだ。だから家光の代までで外様大名が82、親藩・譜代の49藩が改易、つまりお家取りつぶしの憂き目にあっている。

はは〜ん。貿易なんかされたら、うまくいって幕府よりお金持ちになっちゃうかもしれないものね。そのうち外国と手を組んで幕府を攻撃しようなんて考えるかもね。


実際、伊達政宗はスペインに支倉常長を派遣して、秘かに「無敵艦隊」と手を組んでの幕府転覆を狙っていたからね。まぁ、実現はしなかったけど。でも「鎖国」に至ったのには、もっと大きな理由があるんだ。

あっ、それなら歴史の授業で習ったわ。キリシタンでしょ。



その通り。天文18年(1549)から寛文7年(1630)年までの約80年間で、日本人のキリスト教信者は76万人に達したっていうからね。もちろんこの中にはキリシタン大名も含まれている。その影響力が幕藩体制を揺るがしかねないと感じた幕府は慶長18年(1614)にキリスト教禁止令を出すんだけど、結果としてその24年後に「島原の乱」が起こる。もともとは島原藩の過酷な税に反対した農民たちが蜂起した大規模な一揆だったんだけど、迫害されたキリシタンと改易で路頭に迷っていた浪人達がこれに加わったから、話が大きくなった。

つまり、迫害された人や生活に苦しむたちが全部集まって幕府と闘ったっていうことね。


そう。武断政治の犠牲者が集結したといってもいいだろうね。結局、この騒動を鎮圧するまでに2年の歳月をかけて、延べ8000人以上の死傷者を出した。幕府としては面目丸つぶれだ。

それでキリスト教が布教できないようにしたっていうことか。あれっ? でもオランダはどうなの? オランダだけは出島で貿易を許されていたじゃない。


日本にキリスト教を広めたのはザビエルだってことはキミも知ってるよね。このザビエルは布教団体イエズス会の創設者でもあるんだけど、イエズス会っていうのはカトリック、つまり旧教に属する。鎖国以前に日本と国交のあったスペインやポルトガルもカトリックの国だ。これに対してオランダはプロテスタント(新教)の国なんだ。だから、日本でのカトリック布教は彼らにとっては、あまり面白いものではなかったわけ。加えて80年間の戦争でやっとスペインから独立した国だからね。日本からスペインを追い出したいと思うのは自然な感情だっただろうな。

じゃあ、オランダは日本でキリスト教の布教はしなかったっていうこと?



というより、幕府に対して「スペインやポルトガルのようなカトリック国家は、いずれは武力を背景にして日本を植民地化するつもりだ。布教はいわば洗脳教育だ」というようなことを吹き込んでいたフシがある。

なるほど〜、やるわねぇ、オランダ。風車とチューリップだけじゃないんだ。あ、あとサッカーもね。


加えて小国で常に周囲との紛争に悩まされていたオランダは大航海時代、積極的に海外に出て国力をつける必要があった。だから「オランダ東インド会社」には国の出先機関並みの権力を与えたし、日本に対しては何よりも貿易を最優先したんだ。まぁ、金や銅が安価で手に入る日本との貿易はそれだけ儲かる、オイシイ商売でもあったわけだよ。

でも、オランダが儲かるだけだったら幕府には何のメリットがないような気もするけど。


そこだよ。当然日本側は輸入超過だったわけだけど、それでも欲しいものがあった。情報だよ。スペイン、イギリス、フランスといったヨーロッパの大国と対立を繰り返していたオランダだけに、ヨーロッパ諸国の中では比較的中立な情報を持っていた。だから、幕府に対して正確な世界情勢を伝えることができたわけだ。この報告書を「オランダ風説書」って言うんだけどね。

なるほど。オランダが海外情報の窓口だったのね。っていうことは、幕府は鎖国状態でも結構国際情勢に詳しかったっていうことかしら。


その通り。だから幕府はアヘン戦争を始めとする欧米列強のアジア支配も知っていたし、ペリーの来航もある程度予測していたんだ。巷間で言われているように、ただただ蒸気船が来て腰を抜かしたというわけではないんだよ。

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