忘れられた偉才・岩瀬忠震

第15回 日露和親条約〜その4

語り手:大江戸蔵三
都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。

聞き手:墨田なぎさ
都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。

高田屋嘉兵衛、日本を救う

それで、拉致された高田屋さんはどうなっちゃったの?


そもそも双方の誤解が生んだ事件だから、嘉兵衛としては事情を説明すればすぐに解決するだろうと考えていた。だから正装して堂々とディアナ号に乗り込んだ。

大胆ねぇ。高田屋嘉兵衛って何者なの?


あのさぁ、言って置くけど「タカダヤ」じゃなくて「タカタヤ」ね。商人なのに苗字帯刀を許されていたぐらいだから、幕府の信任も厚かった事がわかるだろ。国後〜択捉間の航路を開拓して北方領土開拓に寄与したり、函館の漁業と都市整備の基礎を築いたりと、この人を語るにはいろいろありすぎて1回ではとても説明しきれないから、また別の機会に紹介しよう。

で、そのジャパネットタカタヤさんは、うまくロシアと交渉できたの?


ジャパネットは余計だろ。副館長のリコルドはある程度日本語が話せたから、交渉は紳士的に進められた。まずゴローニンたちは生きていると嘉兵衛は主張したけど、リコルドは信じない。そこで嘉兵衛は脇差しを突き出してこう言った。「嘘だと思うならわしの首を斬れ」

わ〜、かっこいい〜。ますます何者?って感じ。


嘉兵衛の気迫に真実を感じたリコルドは、済まないが一緒にロシアに行って、ゴローニンたちの生存を証言してくれと頼む。ならば人質は自分だけでと嘉兵衛は主張したんだけど、万が一嘉兵衛が病気になったら困るということで、配下の4人も加わることになった。

国の代表でもないのに、危険な人質を買って出るなんて、凄い人ね。


嘉兵衛の威厳ある高潔な人柄にリコルドもディアナ号の乗組員も感心しきりだったらしい。たまたまではあるけど、嘉兵衛という人は、真のサムライというか日本人の鑑みたいな人だったんだな。

じゃあ、交渉はすぐに終わったの?



それが予想外に長引くんだ。カムチャツカ半島のペトロパブロフスク・カムチャツキーに連れてこられた嘉兵衛は、ロシア側の武力行使がそもそもの原因なのだから、ロシア側から幕府に対する詫び状を書いてもらえれば、あとは自分が交渉するとリコルドに提案する。

へぇ〜、高田屋さんって、頭もいいのね。


この提案を受け入れたリコルドは、イルクーツクの総督に詫び状を依頼するんだけど、この総督がダラダラと結論を先送りして、なかなか埒があかない。そうこうしているうちに9カ月が過ぎて、嘉兵衛の配下にも病死する者が出てくる。

リコルドさんは頑張っているのに、上司がダメだったわけだ。


結局、リコルドが直接首都に打診して、自分の責任で詫び状を書いて解決することになるんだけど、この9カ月間、寝食を共にし、大いに語り合ったリコルドと嘉兵衛の間には、すでに国境を越えた確かな友情が芽生えていたんだな。

高田屋さんは、外交官以上の働きをしたのね。


さて、実はその後日本に着いてからが面白くて、高田屋嘉兵衛とリコルドの、男と男の魂のぶつかりあいがあるんだけど、それも話すと長くなるから、結論だけ言おう。交渉は幾たびかの危機を乗り越え、平和的に進んで、ゴローニンは無事帰国、嘉兵衛も1年の長旅を経て帰ることができた。

良かったわ〜。でも、1年の人質生活は長かったわね。


嘉兵衛は大国ロシアを相手にひとりで日本を守りきったわけだ。しかしその心労がたたってか、精根尽き果て、45歳の働き盛りで隠居してしまう。嘉兵衛同様、災難にあったゴローニンは、本国に帰ってから『日本幽囚記』という本を書くんだけど、リコルドの証言をもとに嘉兵衛の人となりを紹介したり、幽閉中に知った日本の文化や日本人の優秀さを紹介しているんだ。

面白い人ね。幽閉された国のことを褒めるなんて。


うん。このゴローニンの話も凄く面白いんだけど、この本に紹介されたゴローニン解放時の松前奉行の祝詞が印象的なんだな。「各国それぞれ相異なる習慣を有しているが、真に正しきことはいずれの国においても正しきものと認められる」

うわ〜、今国連の演説に使っても通用しそうな言葉ねぇ…。


日露両国は対応のまずさや誤解から一時対立するんだけど、それを救ったのは互いの心を開いた交流だった。利害関係の調整だけで国家間の信頼を築くのは難しい。最も大切なのは、意地や策略とは無縁の、人間同士の真心だったりするわけだよ。

今はもっと国際関係が複雑化した時代だけど、それもひとつの教訓ではあるわね。

ゴローニンの本は、ヨーロッパ諸国の日本に対する見方を変えた部分がある。実は、日本を列強の侵略から救ったのは、こうした偏見のないリアルな日本の情報とか、誇り高く死を恐れない日本人像、加えてシーボルトが流出させた伊能忠敬による詳細な日本地図だという説もある。

サムライは簡単には降参しないし、技術力も高い国だっていうことかぁ。


ロシアは一時、クリミア戦争や国内での問題もあって、日本への接触を中断していたんだけど、嘉兵衛が開放されてから39年後の嘉永6年(1853)、イギリスやフランスの中国進出を知ったニコライ1世は、アジアへの足がかりとして、改めてエヴフィミー・プチャーチンを全権大使として日本へ派遣する。

あれぇ、それって黒船来航と同じ年じゃない。


実はそうなんだ。プチャーチンはアメリカより1カ月半遅れて8月に長崎に到着する。いきなり江戸ではなくて、正式窓口である長崎に行くあたりが、アメリカとは違って多少外交配慮が窺えるだろ。この時の艦隊は旗艦パルラダ号以下4隻。国書を渡して一旦離れるんだけど、1月に再び戻ってきて、幕府全権の川路聖謨、筒井政憲と交渉を始める。いよいよ正式な日露間の国交がスタートするわけだ。

  高田屋嘉兵衛の肖像画(右)と嘉兵衛とゴローニンが並び立つ日露友好の像(左・淡路島)

ページトップへ戻る